東西をつなぐ軍事、交易の要 播磨

東西をつなぐ軍事、交易の要 播磨

2020.3.11

日本で初の世界文化遺産となった姫路城は、羽を広げて舞う白鷺にたとえられ白鷺城とよばれる美しさを誇る。初代の姫路城が築かれたのは14世紀半ばのこと。一帯は瀬戸内海の播磨灘に面し、物資が出入りする英賀保の港を手中にする重要な拠点であった。乱世の戦国時代、姫路の西側の地域を支配していた大名たちは播磨灘を越えて京の都を目指そうとしたが、姫路城の堅い守りを超えることはできなかった。

 1600年、姫路城の城主になった池田輝政は、江戸時代の初代将軍、徳川家康から、「西国(九州、中国、四国)の大名たちを牽制できるような城を築きなさい」と命を受け、城の大改修を行う。そして、9年間にわたる大事業の末、五重の大天守を中心とした今日の美しい姫路城の姿ができた。
 播磨は米を発酵させて造る日本酒が誕生した地でもある。1300年前に編纂された「播磨国風土記」に、現在の宍粟(しそう)市にある庭田神社で初めて日本酒を造ったとの記述がみられる。北播磨の三木周辺で生産された良質な酒米(山田錦)の存在、さらには酒を輸送するための播磨灘の海運にも恵まれ、江戸時代以降日本酒の名産地として栄えていく。
 このように京都、江戸と都に続く内海の播磨灘は、日本の文化・経済・政治を動かすための動脈であり続けた。それはまさしく古代地中海において時の権力者が軍事、交易の要としてその支配に血眼となったカルタゴとイメージが重なる。

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