脅威の自然と奇跡の建築 ~玄武洞&投入堂の謎に迫る~

脅威の自然と奇跡の建築 ~玄武洞&投入堂の謎に迫る~

2021年02月26日

The KANSAI Guide

自然が作り出した大彫刻・玄武洞

兵庫県豊岡市の北部にミシュランの二つ星温泉である城崎温泉がある。小説家・志賀直哉が城崎温泉に滞在中の出来事を書いた「城の崎にて」をはじめ、多くの文人に愛されたことから「歴史と文学といで湯の街」として知られるようになった。城崎文芸館にはゆかりのある文人たちにまつわる所蔵作品を多数展示している。

浴衣姿の観光客が外湯めぐりで歩く大峪川の護岸には約600mにわたって規則正しく黒い石が積み重ねている。この石が玄武岩だ。城崎地区は1925年の北但大震災で壊滅的な被害を受け、復興にあたり頑丈な町を作ろうと使われたのが堅い玄武岩だった。なぜ当地にはこれほど玄武岩が豊富にあるのか。その秘密は近くにある大洞窟、玄武洞に隠されている。
城崎温泉から車で10分ほど南下したところにある玄武洞は今から160万年前、西側を流れる円山川をはさんで位置する二見山の噴火により湧き出たマグマが冷えてできた岩石層だ。冷え固まる際の温度収縮により六角形の断面を持つ柱状節理の岩が重なってできる景色は美しく壮観だ。全部で5つの洞があり、玄武、青龍、白虎、朱雀(南朱雀、北朱雀)と四神の名がつけられている。割れた状態で加工する必要のない玄武岩が大量にあったため、すぐ横を流れる円山川で城崎温泉まで運ぶことができた。

玄武洞は地学者にとっての聖地でもある。1926年、当地を訪ねた京都帝国大学(現京都大学)教授の松山基範博士は160万年前の火山活動によってできた玄武岩に含まれる鉄分でわかる地磁気が現在と逆方向になっていることから、地球のN極とS極が逆転していた時期があったとの仮説を発表した。
当時は荒唐無稽な学説として学会から一蹴された。だが、松山博士が亡くなって以降、海底にマグマが湧き出てできる海嶺(海底山脈)で、現在と同じ磁極と逆磁極の岩石が縞模様のようにして連続していることが判明。地磁気の逆転が360万年に11回繰り返されていることがわかり、松山学説は晴れて証明されたのだ。地磁気の逆転は地層の年代を知る手掛かりとして世界的に活用されている。
さらに、地上に表れた地磁気逆転と海洋のプレートに刻まれた磁気の形跡が結びついて海洋プレートが移動しているプレートテクトニクス理論の確立に至る。こうしてプレートどうしの衝突や摩擦により、火山活動や地震が起きることも明らかにされた。
玄武洞はこうして、地磁気逆転とプレートテクトニクス理論という世界的な地学上の大発見を支えた。今でも洞窟の前に立つと、コンパスの針がとんでもない方向を指すのは玄武岩に刻まれた磁気の記憶のせいだ。玄武洞ミュージアムではこれら玄武洞の歴史と功績を詳しく知ることができる。

隣接する二見山が噴火した際、すぐ西を流れる円山川に溶岩が流れ込み川幅が狭くなったことが当地の人々の暮らしに変化をもたらした。河口に水が流れ出にくくなったため、辺りは湿地帯のようになり、そこに生えた柳を原料にかばん産業が生まれた。今なお豊岡にはかばんメーカーが集積し、全国一のカバン産地として知られる。
また、火山活動によってできた湿地にはコウノトリが生息するようになった。豊岡市は国内最後のコウノトリ生息地となったが1970年代にいったんは絶滅してしまう。その後豊岡市によってコウノトリの野生復帰の取り組みが進められ、現在では200羽弱が生息するまでになっている。農薬を使わずコウノトリに害虫を食べさせる自然農法で育てたお米を生産、販売するなどコウノトリは自然と共存する豊岡市のブランディングにも貢献している。

絶壁に建つ奇跡の建築・三佛寺投入堂

鳥取県三朝温泉の近くにある三徳山。その中腹の絶壁のくぼみに建つ三佛寺投入堂は岩場に軽々と浮いているように見え、「日本一危険な国宝」と言われる。険しい山に分け入って修行し、呪術の獲得を目指す修験道の寺院として建てられた。その近寄りがたいさまは、断崖絶壁に建つ世界遺産、ギリシアのメテオラ修道院群と比べられることもある。
投入堂は三佛寺の本堂から標高差200mを登ったところにある。途中には木の根や鎖を掴んで垂直の絶壁を登る危険な箇所が多い。途中、まったく投入堂は見えないが、最後の岩壁を回り込むと忽然と目に飛び込んでくる。険しい道のりを経ての登拝だけに滑落事故も多く、参拝そのものが修行といえる。

修験道の開祖である役行者が蓮の花びら3弁を投げ、それが三徳山に舞い降りたことから行場が開かれたとの伝承が伝わる。投入堂は役行者が仏教修行によって得た力によって崖のくぼみに投げ入れた、という伝説が残る。現代の建築家をしても、どうやったらこの場所にこのようなすごい建築を建てたのかは、謎となっている。
投入堂は正確には「蔵王堂」と称し、以前は7体の蔵王権現立像が安置されていた。蔵王権現は役行者が岩から湧出させた日本独自の仏様で釈迦如来、千手観音、弥菩薩の全ての徳を併せ持った全能の仏様。10世紀ごろに全国に信仰が広まっていった。今もその足跡をたどろうと一般の登山参拝者が絶えない。これら7躯の蔵王権現立像や大正3年(1914)の解体修理の際に除かれた投入堂の古材などは三佛寺宝物殿で拝観できる。

自然が作り出した不思議な造形、人によって作られた奇跡の建築…。地球の営みが深く刻み込まれ、そこに人が信仰を見出そうとした山陰海岸エリアには人を惹きつけてやまない力が宿っている。

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