やすらい花

やすらい花

2021年12月26日

The KANSAI Guide

(やすらいばな)

京都市 関西
国指定重要無形民俗文化財

1000年の時を超え、疫病退散を祈り続ける 華やかで壮麗な、京都の奇祭

洛北と呼ばれる、京都の中心部からやや北の地域で行われている「やすらい花」。その起源は詳らかではありませんが、平安時代後期の1154年には、すでにおこなわれていました。この時代の人びとは、御霊(ごりょう・怨念)が疫病や災害を引き起こすと考えていました。この御霊は、疫神として桜の花ととも飛び散ると考えられており、それを鎮めるための「花しずめ」の行事を行ったことが「やすらい花」のはじまりです。以来1000年以上にわたり、地域の人びとに連綿と受け継がれています。

1000年を超える時を経て、京都に今も残る伝統の歌と舞踊。 春の陽気に誘われる疫神を風流花傘へと誘い、鎮め奉る「やすらい花」。

今宮やすらい花

今宮やすらい花

「やすらい花」とは、本来、花傘の上に飾られる草花を指すものでした。現在では桜や椿といった季節の花が飾られていますが、かつては疫病を追い払うための草を束ねていたとされています。このやすらい花を挿した長柄の花傘とともに風流(ふりゅう)の装いをした人びとが花の精に煽られて飛び回る疫神を、鉦や太鼓の音色で引き寄せて花傘の中に招き入れ、そのまま社へと運び鎮めるのです。
疫神を魅了し続けてきた「やすらい花」は,より華やかなものへと変化し、平安末期にはその行装が華美に過ぎたため勅令で禁じられるという事態も起こっています。後に禁は解かれて祭りは再開、現代でもその行列の壮麗さは健在です。今も桜の散る4月から5月にかけて、紫野(上野)・西賀茂(川上)・上賀茂・雲林院(玄武)の4つの地域で行われており、それぞれの地域でやや異なる所作や囃子詞もみどころです。

春の陽気を映したような、晴れ晴れと明るい衣装の行列。 軽やかな歌声とダイナミックな踊りは、早朝から夕刻まで続く。

上賀茂やすらい花

上賀茂やすらい花

例えば,「今宮やすらい花」では、旗、榊台(さかきだい)、唐櫃(からびつ)、鉾(ほこ)、御幣(ごへい)を先頭に、風流花傘と鉦や太鼓を持った踊りの一団が続きます。この踊りの一団には、地域の子どもたちや青年が赤熊(しゃぐま)姿の鬼に扮し、鉦や太鼓をもった囃子方が「やすらい花や」と囃し立て、町を練り歩きます。
3つの地区でやすらい花が行われる4月の第2日曜日。早朝に神社を出発した行列は、巡行路上の家々の前で舞い踊りながら、夕方近くまで歩き続けます。この時、「花傘の下に入ると一年間無病息災でいられる」「初めてこの祭りを迎える赤ん坊が花傘の下に入ると一生健やかに過ごせる」といった言い伝えがあり、人びとはこぞって花傘の中に入ります。
また、「祭りの日が晴れれば、その年の京都の催事はすべて晴れ、雨ならすべて雨」ともいわれていることから、洛中・洛北の人びとが、厳しい冬を越え、花が咲き、田畑の準備が始まるこの季節の祭りを、一年を占う大切なものだったと考えていたことがわかります。
夕刻になると紫野(上野)・西賀茂(川上)の行列は今宮神社へ、雲林院の行列は玄武神社へと戻り、花傘とともに連れ帰った疫神を鎮めるため、朝から沿道で行われてきた舞が境内で奉納されます。上賀茂やすらい花は、約1か月後の5月15日に行われ、やすらい堂を出発。大田神社を経由して、上賀茂神社にお参りします。

近代的な街並みと、千歳の歴史をもつ古社 さらに幽玄な森まで、魅力がぎゅっと詰まった洛北をめぐる

川上やすらい花

川上やすらい花

玄武やすらい花

玄武やすらい花

「やすらい花」と関係が深い今宮神社、玄武神社、川上大神宮、大田神社や上賀茂神社は、いずれも1000年以上の由緒をもつ古社。京都市はJR・近鉄のほか、中心部に地下鉄や阪急・京阪のアクセスができ、駅と市内各所をつなぐバスの運行本数も多いのが魅力ですが、京都の人びとの息づかいを感じるなら、ゆったりと歩いて巡るのもおすすめです。
洛中から離れ、洛北そして北山に抱かれた地域にまでちょっと足を延ばせば、山紫水明の水墨画のような自然風景と出合うことができます。

◎画像提供:京都市

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