和歌山県 城、寺、そして庭を巡る旅 :2

和歌山県 城、寺、そして庭を巡る旅 :2

2021.9.23

Tom Vincent

和歌山県北部の庭園と寺院を巡るツアーの2日目は、和歌山城麓の公園で太陽に輝く城を見上げながらの朝食から始まりました。わずか150年前まで、この公園には紀州徳川家の豪邸がありました。ホテルのレストランから見える御橋廊下と呼ばれる橋は、殿様が、大奥から西の丸へと人目を気にせず堀を渡るために作られた、壁と屋根のある珍しい傾斜橋です。2006年に復元された橋は、わかやま歴史館に展示されている、数百年前に描かれたものとは思えないほど精巧でモダンな設計図をもとに造られました。橋の先には、江戸時代初期の1600年代に造られた西の丸庭園(紅葉渓庭園)があり、カエデが赤やオレンジに染まる秋が特に見事な庭となっています。

根来寺

根来寺

 2日目は、紀ノ川の流れに沿って東に進み、岩出市、紀ノ川市を経て高野山へと向かいました。この日、最初に訪れたのは岩出市にある根来寺で、入り口で語り部の伊藤惠さんが出迎えてくれました。根来寺の歴史は900年以上前に遡ります。元々は1132年に仏教を学ぶためのセンターとして高野山で設立されました。1140年に有名な僧侶である興教大師が高野山から根来に移りました。しかし、天正13年(1585年)に豊臣秀吉に焼き討ちされてしまいます。
 そして1623年、徳川頼宣が和歌山城の改修に着手した直後に寺の再建を命じ、江戸時代に再び隆盛を極めました。現在、寺の敷地は36万坪に及び、春には桜が満開となり、特に素晴らしい光景となります。私たちが訪れた日、桜のつぼみはとてもふっくらとし今にも花が咲きそうでしたが、残念ながら開花には少し早すぎました。しかし、明るい春の日差しの中、境内を散策するのはとても楽しく、伊藤さんに案内されて本堂に向かいました。

 本堂に向かう途中、まずは高さ40mもある木造二層の大塔を拝観しました。1547年に完成したこの塔は、1480年頃から工事が始まったと言われており、完成までに70年近くを要しました。幸い、秀吉の兵火を免れたため、現在は日本最大の木造多宝塔で国宝に指定されています。幅15mの正方形の塔の下段から、インドの仏舎利塔を参考にした白い漆喰のドーム、そして円筒形の塔へと変化していき、正方形から円形への木の梁や接合部はとても複雑な構造となっています。四角い一階のホールの中には曲面の障子を備えた円形の内陣があり、胎蔵界大日如来を中心とした立体的な仏像の曼荼羅は壮観です。

 大塔の隣には、1826年に再建された本堂の大伝法堂があります。高さ3メートルの金剛界大日如来を中心に、1405年に作られた金漆塗りの古い仏像が3体安置されています。大日如来は真言密教で宇宙の真理とされる最も重要な仏です。仏像の手の形にはそれぞれ意味があります。日本全国で様々な手の大日如来があり、中には他の仏像と同じ手の形をしたものもあります。しかし、伸ばした左手の人差し指を右手で握る「智拳印」は金剛界大日如来だけが使うポーズです。

 大伝法堂を出て次に向かう途中、大きな石碑で足を止めました。伊藤さんが呼び止めなければ、私たちは間違いなく気づかずに通り過ぎていたはずです。私たちが立ち止まると、彼女はゆっくりとした叙情的な歌を歌い始めました。根来寺を歌詞にしたこの根来の子守唄は、何百年も前から今日まで歌い継がれています。この歌には様々なバリエーションがあり、その中でも最も歌われている歌詞が岩に刻まれているとのことでした。

名勝庭園と名草御殿

名勝庭園と名草御殿

 子守唄の石碑から少し歩いたところに本坊の建物があります。その奥にある名草御殿は、かつて和歌山城の敷地内にあった小さな建物を、紀州徳川第8代藩主・徳川重倫が使用していたものです。建物はシンプルであるがゆえに洗練されており、中に入ると凝ったディテールはないものの、大名のために作られた建物であることは一目瞭然です。そして建物の三方を囲むように、1801年に完成した庭園があります。
 2面は敷き詰めた砂利に石を丁寧に配し、わずかに緑が植えられた庭で、もう1面は丘の中腹と自然の森に溶け込むような池と石の庭になっています。多くの日本庭園がそうであるように、控えめなデザインの中にも象徴的な要素が散りばめられていて、さまざまな楽しみ方ができるようになっており、自分なりの解釈で見ることのできる余裕が十分に確保されています。この庭園の最大の特徴は、森の中に向かって斜面を登っていく三段になった龍の滝です。池には鶴と亀を象徴する岩がありますが、どちらがどちらなのか見分けるのは難しいと思われます。この庭からは、重倫公が部屋の縁側に座って仕事の疲れを癒している姿が目に浮かんでくることでしょう。

根来塗体験

根来塗体験

 庭園を後にし、寺の建物に背を向けて木々の間を少し進むと、伊藤さんが小さな建物に立ち寄りました。伊藤さんは寺の語り部をなさっていますが、本業は漆器職人で、そこは境内にある彼女の小さな工房でした。根来の漆器の歴史は12世紀に遡り、当時この地には食器を必要とする数多くの僧侶が住んでいたと言われています。その中でも特に優れた漆器には、鮮やかな朱色の辰砂が使われていました。
 この朱色の辰砂を使った漆器は従来のような滑らかで艶やかな漆の仕上がりではなく、職人の筆の跡が残っており、長年の使用によりすり減った朱色の下からは黒い漆が透け出ておりダイナミックな景色を作っています。これが根来塗の特徴であり、使い込まれた椀や器は和歌山を中心に珍重されていました。しかし、天正13年(1585年)に豊臣秀吉が根来寺を焼いたと同時に漆器産業は海南(黒江)や全国に移り、400年以上経た現代に根来塗はこの地で再興されました。現在、伊藤さんは数少ない根来塗の職人として活躍されています。

 彼女の工房に入ると、漆器工房によくある天然の漆とテレビン油の温かくて甘い香りがします。工房の奥には、作品づくりの工程で漆を乾燥させるための重厚な造りの大きな木製の箪笥「ムロ」がいくつか並んでいます。スペースの正面には作業用の机があり、ここで伊藤さんの指導のもと、スプーンや箸に漆を塗る体験ができます。自分の箸に縞模様やモチーフを自分の好きなデザインで描く体験は、気軽に楽しめるものでありながら満足度が高いと思われます。しかし、伊藤さんの作品のように、漆を乾かしながら少しずつ塗り重ね、絶妙な仕上がりにするには、まったく別のノウハウが必要です。伊藤さんの作品の中には数万円の値段がつくものもあることにうなずけます。

旧和歌山県議会議事堂

旧和歌山県議会議事堂

 漆塗り体験の後、根来寺を後にし大通りに沿って少し歩くと、旧和歌山県議会議事堂がありました。この印象的な建物は、かつて和歌山県議会の議事堂として使用されていましたが、1938年、大型の近代的建物に建て直すため取り壊されることが決まり、民間に売却され、1962年に岩出の人々が購入し根来寺の敷地内に移されたものです。その後、現在の場所に移築されました。
 1898年に建てられた建物は和風建築ですが、幅18mの本堂は内部に支柱がなく、西洋式のトラス式屋根を採用しているため、日本の伝統的な建築技術では不可能な広大な空間を実現しています。19世紀の政治家たちが、新たに導入された民主主義の手法で激しい議論を交わす中、議会を囲む三列の広々とした傍聴席から聴衆が見守っている様子が想像できる巨大なホールです。

粉河寺

粉河寺

 次の目的地である粉河寺は近くの紀の川市にありました。この寺は今回の旅の中で最も歴史があり、770年に創建されました。言い伝えによると、猟師の大伴孔子古が山の中で不思議な光を見て殺生を悔い改め、その地に庵を建てました。そしてそこに祀る仏様が欲しいと願って毎日を過ごしていました。ある日、巡礼姿の童子が一夜の宿を求め訪ねて来ます。次の日、童子はもてなしに感謝して、猟師の願いである仏像を彫り始めます。
 7日が過ぎ8日目の朝、童子は姿を消し、そこに千手観音像が残されていました。猟師は童子が観音様の化身であることを悟り、千手観音様に帰依して日々を過ごしたということです。
 今回の訪問の目的は庭園です。大門をくぐり参道に並ぶお堂を見ながら中門にたどり着きます。門を通ると左手奥に本堂が現れ、その前の3メートルほどの段差を利用して庭が作られています。桃山時代に作られた庭園で、国の名勝に指定されています。
 私がこれまでに見た中で最も珍しく、印象的な庭園のひとつです。紀州の青石(緑泥片岩)を使った石庭で、本堂へ向かう階段の両側に庭が作られています。庭園の大きさはそれだけでも圧巻ですが、色や形、大きさの異なる様々な岩が、急な角度で斜面から突き出る様に圧倒されます。その絶妙なバランスが、庭園に驚くほどの奥行きを与えており、岩の間にはサツキやソテツが点在し、端には一本のシンパクがそびえ立っています。この細部に目を向けるには時間がかかりますが、一度目が慣れると、岩の中に見覚えのあるシンボルが浮かび上がってきます。根来で見たのと同じように、枯山水の滝の上には石橋がかかっています。また、庭園には鶴石と亀石もあります。

観音山フルーツガーデン

観音山フルーツガーデン

 今回の旅の最大の目的は日本庭園でしたが、和歌山の旅にはフルーツが欠かせません。和歌山はあらゆる種類の果物があることで知られており、特にミカンが有名です。旬のフルーツを求めて私たちはめっけもん広場に立ち寄りました。日本の田舎には素晴らしい農協の店が点在していますが、めっけもん広場のように驚くほどの質と量の果物があるところは他にはないでしょう。
 広い倉庫のような店内には、「不知火」と呼ばれる和歌山産デコポンやミカンなど、想像できる限りのあらゆる種類の柑橘類が、何列にも何箱にもわたって並んでいました。季節が変われば、売られている果物の種類も変わりますが、めっけもん広場に豪華で最高品質の果物がない時期はほとんどありません。

 その産地と栽培方法を知るために、私たちは観音山フルーツガーデンを訪れました。駐車場に着いた時、オーナーの児玉典男さんがトラックから手を振り、私たちが車から降りるとすぐに児玉さんもトラックから飛び出て、農園の裏手にある急な坂道を柑橘類の木のほとりまで案内してくださいました。
 児玉さんは、柑橘類の木に貼られた「実を取らないでください」という看板を無視して(注:自分の畑)、手を伸ばしてオレンジを一掴みすると、親指をクイッと絞って上手に皮を開け、果汁の滴り落ちる実を私たちや他の通行人に渡してくれました。児玉さんは笑い上戸の大柄な男性で、彼の仕事に対する熱意と愛情が伝わってきました。先ほどの果汁のついた手を洗った後、今度は果樹園の中央に位置する建物の2階にあるレストランエリアに案内されました。
 あっという間に目の前に並んだ想像以上に大きなフルーツパフェに、私は思わず手が出てしまいました。これがとても美味く、街から離れた山の中腹にあるにもかかわらず、この店が平日でも大人気な理由がすぐに理解できました。フルーツとクリームを堪能した後は、階下のファームショップへ。ここでは、20代を中心とした15人ほどの若い従業員が、日本中へ発送するみかんやレモンなどのあらゆる種類の注文の果物を次々と箱に詰めていく作業を元気に行っていました。気がつくと、私たちは一人一袋のみかんを手渡されていました。少し重かったが、とても嬉しい贈り物でした。

 そして、私たちは車に乗り込み、最終目的地である高野山に向けて出発しました。

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