和歌山県 城、寺、そして庭を巡る旅 :1

和歌山県 城、寺、そして庭を巡る旅 :1

2021年08月18日

Tom Vincent

和歌山県は、大阪の真南、紀伊半島の南西部に位置します。最もよく知られているのは、このシリーズの第3部でも紹介する高野山の素晴らしい寺院群ではないでしょうか。今回の旅の目的は、和歌山県北部にある和歌山市から紀ノ川沿いに東へ進み、根来、粉河へ、そして高野山へと登りながら数々の日本庭園を訪ねることです。

 和歌山県の庭園は、過ぎ去りし日本への扉を開く庭園芸術の宝庫であるにも関わらず、寺や城、民家の陰に隠れていることが多いため分かりにくく、ガイドブックに載ることが少ないため、この記事で興味を持ってもらえれば幸いです。
 

和歌山城

和歌山城

 和歌山県北部の庭園と寺院を巡るツアーの1日目は、和歌山市を訪れました。日本の歴史は、長く、ユニークであることはよく知られていますが、戦後の高度経済成長によりコンクリートやガラスにその多くは埋もれてしまいました。ここ和歌山市も例外ではありません。
 和歌山市は歴史好きにはとても興味深い町ですが、近代的な箱型のビルが目立つ町並みです。しかし、その合間をよく見ると、江戸時代の日本にタイムスリップするかのごとく、深い歴史を発見することができるでしょう。
 和歌山城天守閣は、和歌山市の中心部にある小高い山の上にあります。現在の天守閣は、戦後外見は戦災で焼失する以前のとおりに再建されたものですが、各所に残る元々の城郭の存在感は大きく、数百年前の様子を窺い知ることができます。
 城の眼下にあるわかやま歴史館は、一見すると飾り気のない観光案内所の二階にあり、少しわかりにくい場所ですが、江戸後期の城の様子を再現した短編映画が上映されており、かつての城の精巧さを知るため訪れることをおすすめします。たいていの場合は、博物館の映像というのは私の好みではないのですが、この精緻なCGは、展示されている当時の地図や図面と相まって、17~19世紀の和歌山市を容易に想像させることでしょう。歴史館を出た後、再び城を見ると、私の頭の中には昔の風景が広がっていました。歴史館は、戦後の近代化された景色に隠れる、かつて繁栄した紀州徳川家の絶大な権力を浮かび上がらせます。

和菓子「総本家駿河屋」 写真出典:国立国会図書館

和菓子「総本家駿河屋」 写真出典:国立国会図書館

 1619年、和歌山城は徳川家康の十男である徳川頼宣によって改修されました。頼宣は国替えによりこの地に移り住むと、駿河から最高の職人や専門家を集め、和歌山城の近くに移しました。駿河屋は、城から歩いて数分の場所にあります。駿河屋は560年前の1461年に京都の伏見で創業しましたが、頼宣の国替えに随伴して和歌山へ移転しました。その数年後の1658年、駿河屋は全く新しいタイプの小豆の菓子を発明します。これが今日、日本で最も有名で愛される菓子のひとつである練羊羹の始まりです。
 駿河屋はもともと「鶴屋」と呼ばれており、現在も鶴をモチーフにした屋号紋を掲げていますが、1685年に殿様が鶴姫と結婚した際、姫と同名の菓子屋は如何なものかと、屋号を返上し、「駿河屋」という屋号を賜りました。
 江戸時代の木版画には、大きな店に忙しく働く人々が描かれ、その繁盛ぶりを知ることができます。よく見ると、まるでコロナ禍のようにマスクのようなものを身につけ、手ぬぐいを被った職人たちがいることに気がつきます。彼らは、神聖な場所であることを示す飾り縄で囲まれた場所におり、そこに置かれた湯気の上がる菓子箱には徳川家の印が押されています。この版画からも、殿様のための菓子は細心の注意と衛生管理のもとに特別に作られていたことがわかります。
 現在の駿河屋は近代的な建物で、平日でも人気の「本の字饅頭」を買い求めるお客で賑わっていました。店の奥のテーブルでは季節の和菓子と抹茶を楽しむことができます。鮮やかな緋色をした練羊羹は、苦いお茶やコーヒーを飲むときにもちょうどよい甘さです。

紀州徳川献上料理

紀州徳川献上料理

 和歌山城の麓にある公園を散策した後の昼食でも、私たちは何百年も前にタイムスリップしたかのようでした。日本料理店「ちひろ」では、頼宣が鷹狩に出かける際に、和歌山市の南に位置する海南市の長保寺に立ち寄った際に献上された400年前の食事を再現し、レストランで気軽に楽しめる特別メニューとして提供しています。 金や漆の器に盛られた刺身や珍味の盆は、現代の懐石料理のようにも見えますが、その準備には現代の食事の2倍の時間を要するそうです。
 醤油ではなく「煎り酒」と呼ばれる日本酒に梅干を加えて煮詰めて作った調味料で刺身を味わうなどの昔ながらの味は、現代人の口に合うようにわずかな調整を加え、丹念に再現されています。17世紀の殿様の食事を再現した逸話は興味深く魅力的で、美味しい昼食でした。また、椅子が置かれたモダンな茶室では、足がつる心配なく本格的な茶道を楽しむことができます。

養翠園

養翠園

 昼食後、和歌浦温泉 萬波MANPA RESORTに立ち寄り、移動に便利なグラフィット・バイクを手に入れました。見た目は普通の小さな車輪の自転車ですが、強力な電気モーターが搭載されているため、楽々と走ることができます。ヘルメットをかぶり、不慣れなスタートを切った後は、すぐに慣れて海岸沿いの道を疾走。急な坂道では猛烈な勢いでペダルを漕ぎ、平地では加速して、あっという間に海岸沿いにある庭園「養翠園」に到着しました。

 養翠園は、1818年に第10代紀州藩主・徳川治寶が別邸として造った33,000m²の広大な庭園です。庭園の樹木の大半は、治寶が常緑であるために好んだ松や針葉樹で、庭園の中心には、潮の満ち引きによって満たされる巨大な塩水湖があります。運が良ければイナのジャンプを見ることができ、松の間からは季節の花や葉を楽しむことができます。驚くべきことに、この庭園は名勝として国の文化財に指定されていますが、明治維新後に徳川家から売却されてからは個人所有の庭園となっています。

 幸運なことに、私たちが到着したときには他の訪問者はほとんどおらず、庭園をほとんど独り占めすることができました。松林の中の小道をゆっくりと散策し、池に架けられた小さな橋や土手道を渡ると、治寶公がここで風景を楽しんでいる様子を容易に想像できました。
 世界では、この庭園が完成するちょうど3年前、ナポレオン・ボナパルトがエルバ島に逃れ、ワーテルローの戦いを経て、ヨーロッパ中の大戦争はひとまず収束しました。しかし同年、イギリスは強大なマラーター帝国を破り、イギリス東インド会社がインドの大部分を支配することになりました。また、中国ではイギリスのアヘン貿易が新たな高みに達し、戦争へと向かっていた時期に当たります。鎖国をしていたとはいえ、これらの出来事を多少なりとも知っていたはずの治寶は、これら他国の出来事が日本の歴史上最大の動乱につながるとは、その時は想像もせず、茶室で池の向こうの山を眺めながら寛いでいたのでしょうか。

番所庭園

番所庭園

 海岸までグラフィット・バイクを走らせると、番所庭園に到着しました。和歌浦湾に突き出たこの岬は、19世紀半ば、日本との通商を求めて来航する「黒船」を見張る場所でした。当時、西洋に強引に侵略されていたアジア諸国の中で、日本だけは西洋と距離を置くことができていました。しかし、その頃は、西洋人が日本に来る以前より江戸時代の平和と安定からの変革期を迎えており、近代的な軍艦に乗った西洋人の来訪はやがて日本に大きな変化をもたらしました。明治維新、そして250年に及ぶ鎖国から開国へとつながっていったのです。現代的な外観でありながら、番所庭園にはそういった歴史が隠されています。眼下に存在する小さな島々と遠く淡路島や四国を見渡す断崖絶壁の岬の先端に立ち、和歌山城の藩主に危機を知らせようと、影を見つけては信号の火を灯した見張り番の緊張感を、是非想像してください。

雑賀崎 

雑賀崎 

 グラフィット・バイクを置いて坂道を上り、小さな路地を右に曲がると、山の斜面に沿って曲がりくねった迷路のような小道があり、そこには建物が密集した雑賀崎という漁村があります。このような土地に家を建てることは不可能と思われるような小さな空間に、ほとんど重なり合うように家々が建てられています。
 家と家の間を縫うようにして曲がりくねった小さな道を進むと、片側には誰かの玄関が、そしてもう片側には屋上があったりします。ほとんどの家は現在も漁師が所有しており、海に下りると、集落の正面には船が並ぶ漁港があり、その中央には魚市場があります。私たちが到着したのは夕方だったので、港は静かでしたが、漁師たちが暖をとったであろう最後の焚き火の炎と、網の周りを嗅ぎ回るのんびりした犬たちだけがいました。
 早朝の港はボートや軽トラックなど、人や魚で賑わっていると思われます。ここには観光客向けの飾り気や店がないため、幸いに漁師村の本来の姿を維持していますが、家々の間には格好のカフェがいくつかありました。

高津子山展望台 

高津子山展望台 

 日没の約30分前にグラフィット・バイクをホテルに戻し、道路を渡り、山道を登り始めました。20分ほど登り、最高峰の展望台に到着すると360度の素晴らしい景色が目に飛び込んできました。片側には市街、反対側には和歌浦湾が広がり、海の向こうには四国のシルエットが、その向こうには輝かしい夕日が見えました。

 再び山を下り、夕食の時間となりました。がんこ六三園は、レストランチェーン「がんこ」が運営する料亭で、実業家の松井伊助が1920年に別荘として建てた20世紀初頭の広大な日本家屋を利用しています。広々とした日本家屋には、池や石灯籠などが配された広大な日本庭園があり、ゆっくりと散策することができ、食事の背景としても最適です。

 私が泊まったダイワロイネット和歌山は、和歌山の中心部にある大きくてモダンなホテルで、15階の部屋のカーテンを開けると、スポットライトに照らされた和歌山城の天守閣がすぐ近くに見え、17世紀の和歌山を想像しながら眠りにつきました。

関連記事

最終更新 :
TOP