和歌山県 城、寺、そして庭を巡る旅 :3

和歌山県 城、寺、そして庭を巡る旅 :3

2021.10.1

Tom Vincent

お寺の宿坊、福智院

 私たちが高野山に到着したのは夕暮れ時で、この日の宿泊先である福智院にチェックインするため、急いで寺に向かいました。

 高野山の伽藍は、今から1200年以上前の816年に空海によって創建されました。高野山にある寺院の数は時代によって変わりますが、19世紀半ばの高野山には800以上の寺院があったようです。現在は117にまで減少し、そのうち51の寺院に宿泊施設があります。そのひとつである福智院は、800年以上前に創建された、開運・幸福・良縁成就のご利益があるとされている愛染明王を本尊とする寺です。

 寺に泊まったことがない人は、施設が貧弱なのではないかと思うかもしれませんが、現役の寺院でもある福智院は非常に美しく、宿泊施設は高級民宿のように快適で、高野山で唯一の天然温泉の風呂も備わっています。2体の小鬼に守られた門をくぐり、魅惑的な中庭を通ると建物の入り口に辿り着きます。建物の正面には長い廊下があり、右手には主な客室が、左手には本堂へと続く迷宮のような部屋があります。客室は和室で、布団を敷いて寝ることができ、手洗い場やトイレ、風呂は一般的な民宿と同様に共同となっています。

壇上伽藍ナイトツアー、中門、御社

 チェックインを済ませて部屋に荷物を置いた後、高野山の中心的な寺院群である壇上伽藍のナイトツアーに出かけました。ここは高野山で最も神聖なエリアであり、元々は空海が真言宗の修行のために設立した場所です。ほとんどの建物は、火災のため何世紀にも渡り様々な時期に再建されたものですが、控えめな不動堂だけが建設時のものとなっています。最も印象的な建物は巨大な根本大塔で、根来寺のものと形は似ていますが、鉄筋コンクリート造りで、鮮やかな朱色に塗られています。

 伽藍の正門である中門は、こちらも鮮やかな朱色で、高さ16メートルの巨大な木造2階建てです。現在の門と両脇に立つ四天王のうち二体は、高野山開創1200年を記念して2015年に完成しました。守護者は仏教彫刻の巨匠、松本明慶氏の見事な彫刻となっています。世界のどこの国とも同様に日本の伝統工芸も衰退の一途をたどっていますが、このように優れた彫刻家が現在も活躍しているということが日本の伝統工芸の素晴らしさを物語っていると思います。何世紀も以前のそれと極似していますが、無塗装の木の輝きは明らかに最近のものでありながら、細かなディテールや表情は、日本の寺院の力士像の中でも最も優れた作品のひとつであることは間違いないでしょう。そして、胸には比喩的な意味を持つトンボとセミが描かれています。トンボは前にしか飛ばないことで知られており、決断力や意志の強さを象徴しています。セミの鳴き声はとても大きく、遠くまで伝わっていくことから、守護者が遠くまで見通すことができることを表します。

 伽藍の奥には、小さな林の中にひっそりとした鳥居があり、その先に2つの素朴な「寺院」があります。しかし、鳥居があるということは、それが寺ではなく神社であることを意味します。これは御社とその拝殿である山王院で、そこからは日本の仏教と神道との関係を知ることができます。空海が中国から帰国して修行の場を探していたとき、高野山となる山間部に出会い、ここを拠点とすることを決めました。しかし、その前に山の神、つまり日本固有の神道の神々に許可を得なければならず、空海がこの地に最初に建てた建物は、仏教寺院ではなく、神道の神々を祀る神社だったのです。現在も社殿は僧侶の重要な儀式に使われていますが、神職ではなく、僧侶が神道の祈りや儀式を行っています。

朝の勤行

 福智院に戻り、私たちは精進料理の夕食の席につきました。精進料理は、ベジタリアンやヴィーガン料理の人気が高まるにつれ、西洋でも徐々に知られてきていますが、日本やアジアの多くの地域で仏教の僧侶たちが食すものです。正式には精進料理を「ヴィーガン」とは呼びませんが、動物性の食材を一切使わず、米と大豆を主食とし、それに季節の野菜を添え、出汁には昆布や椎茸を使います。何世紀にもわたって発展してきたもので、肉が好きな人でも、精進料理を食べれば満腹感もあり満足できるでしょう。本格的な修行のために高野山に来たのでなければ、食事と一緒にビールや日本酒を注文することもできますが、高野山ではアルコール類を「般若湯」と呼びます。美味しくお腹いっぱいになり、6時からの朝のお参りに間に合うようその日は早めに布団に入りました。

 翌朝6時前、私は寺院の廊下を進み、一番奥にある本堂の入り口にたどり着きました。入り口では本堂に入る前に粉状のお香をひとつまみ取り、手のひらにこすりつけて体を清める方法を若い僧侶が教えてくれました。まだ寒かったので、御堂の中央にある灯油ストーブに助けられました。また、低い椅子もあったので、儀式の間、足が痺れることもありませんでした。住職と2人の僧侶と私たちの間は、装飾的な衝立によって隔てられていました。中央には煙の出ている香炉があり、その向こうには精巧な金の彫像や仏壇の調度品がロウソクの光で輝いています。儀式は、住職の読経に、鐘や銅鑼の音を合図にした僧侶の読経が複雑に重なり合っていました。初めての人でも、お香の香りと堂内に繰り返し響くお経に誘われ、すぐに穏やかなトランス状態になってしまうことでしょう。儀式はあっという間に終わり、夕食と同じ部屋に行くと、美味しい精進料理の朝食が待っていました。食事が終わると、私たちは再び廊下を歩き、中庭に面したソファのある小さな部屋でコーヒーを飲みました。

重森三玲の庭

 福智院を宿泊先に選んだ最大の理由は、20世紀を代表する作庭家である重森三玲が設計・施工した、この中庭と福智院の別の場所にある2つの庭園でした。これらは、多くの三玲の庭園と同様に、力強い幾何学的な石組みと大胆な植栽が特徴です。

 コーヒーを飲み終えると、住職が庭を案内してくださいました。私たちがコーヒーを飲みながら眺めていたのは、三玲の庭の中で最も小さい「蓮菜遊仙庭」と呼ばれる魅力的な石庭でした。三方を建物に囲まれ、左端が見えなくなっている乾いた風景は、中国の古代伝説である「蓬莱島」を表しています。地面には低いコンクリートで区切られた赤と白の砂利が渦巻いており、苔の山と15個の石が念入りに配置されています。これらの石は山を表しており、庭の名の通り、蓬莱の陽気な仙人たちが山の頂上から頂上へと追いかけっこをしながら飛び回る様が見えるようでした。

 回廊を少し進んだところにあるのが「登仙庭」です。この庭園は、有名な「龍門の滝」をモデルにしています。丁寧に剪定されたツツジの山が、なだらかな遠山の形をしており、これも蓬莱山系を表現しています。手前の池と泉は、石畳と砂利で囲まれた現代的な造りですが、そこには鶴と亀の島が描かれており、伝統的な作庭モチーフの三玲による20世紀的表現となっています。

 福智院の庭園の中で最も素晴らしいのは、福智院が祀る愛染明王にちなんで名付けられた「愛染庭園」で、本堂からの眺めが特におすすめです。この庭園は、三玲が1975年に亡くなる直前に本人の手によって作られた最後の庭園と言われています。残念なことに、私たちが訪れたときには、コロナの影響により砂紋が施されていない状態でしたが、赤と白の砂による大胆で幾何学的な模様、刈り込まれたツツジ、完璧に配置された石による「山並み」は壮観です。20世紀のモダニズムを愛する人々にとって、高野山での宿泊先として福智院を選ぶ理由は、間違いなくこのモダンクラシックの庭であると思われます。

金剛峯寺、奥の院、森林セラピー

 チェックアウト後、私たちは高野山の中心部に戻り、高野山の総本山である金剛峯寺に向かいました。金剛峯寺は、1593年に豊臣秀吉が亡き母を弔うために創建した青厳寺と興山寺が1869年に合併され、金剛峯寺と改められた寺院で、日本全国に3600ある高野山真言宗寺院の総本山となっています。入り口では、私たちのガイド役である金剛峯寺の僧侶・中村光観さんが出迎えてくださり、中村さんの案内で、延々と続く寺院の部屋を巡りました。それぞれの部屋には素晴らしい絵が描かれた屏風や襖があり、建物全体がアートギャラリーのようになっています。最初の目的地は、本堂から橋の回廊を渡ったところにある「蟠龍庭」という庭園です。蟠龍庭は空海が入定してから1150年後の1984年に完成した庭園です。日本最大の枯山水庭園といわれるこの庭園は、散りばめた巨大な岩石が巨大な二匹の龍の荒々しい輪郭を描いており、建物や歩道の下に長い尾を巻きつけたような非常に大胆な構成になっています。驚くべきことに、造営年代は最近のものであり、岩石の象徴性が理解されているにもかかわらず、誰の造営なのか記録はなく、謎に満ちたものとなっています。

 回廊に沿って本堂に戻ると、日本の建物としては珍しく巨大な漆喰の煙突がある大きな竃のある広大で古い厨房エリアを通り、金剛峯寺の現代的な見所にたどり着きました。巨大な中央の部屋のそれぞれには、2020年に公開された現代美術家の千住博氏が描いた襖絵が設置されています。森や岩や滝を描いた、巨大な騙し絵のような簡潔なモノクロ作品は実に壮観です。

 日本人男性とフランス人の奥様が経営する小さなカフェレストラン「梵恩舎」では、和のテイストを取り入れたベジタリアンやヴィーガンの美味しい洋食が食べられます。ランチとコーヒーを楽しんだ後、私たちは元気を取り戻し、奥の院を歩き、弘法大師が永遠の瞑想に入っていると言われている御廟に向かいました。

 奥の院は、杉林の中の2kmの道に20万個以上の墓石が並んでいます。最近、外国人観光客の間でナイトツアーが人気を博していますが、迷信深い地元の日本人にとっては驚きの連続とのこと。こ参道は確かに少し不気味で、昼間に訪れることができた私は幸運でした。

 参道終点の御廟で弘法大師に敬意を表し、その先に進むと、地元の林業家が森の中へと連れて行ってくれました。車を走らせ、森の入り口の小さな駐車場から10分ほど歩くと、林業家の小屋と木の間に張られたハンモックのあるきれいな場所に到着しました。高野山といえば、寺や仏教の修行の場として知られていますが、お香や歴史以外にも山に囲まれた自然の中に身を置きたくなれば、森林セラピーのグループに参加し、大自然の中で一日を過ごすこともできます。

 小屋には床に掘られた素晴らしい囲炉裏があり、その火のそばで茶を飲んだあと、私はひとつのハンモックに誘われました。帰りの電車の心配がなければ、鳥のさえずりを聞きながら、雲を眺めて一日を楽しく過ごしたいと思える時間でした。

 そろそろ帰る時間になったので、駅に向かいました。往路は車を使いましたが、帰路は列車に乗りました。まず、高野山駅からケーブルカーで山を下り、麓の駅に到着。そこからは近代的な特急列車で山側をぐるりと回り、霧のかかった谷や山間の村の素晴らしい景色を眺めながら山ろくへと向かいます。気がつくと私は大阪の繁華街に戻っていました。服や髪についたお香の匂いだけが、この数日間が夢ではなかったことを思い出させてくれました…。

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