三重県の山岳地帯、関西東部で何年も前に修験道を初めて体験したことを鮮明に覚えています。私はある山伏から彼が運営する非常に美しい茅葺き屋根の宿に一晩招待され、感動的な護摩法要に参加しました。そして険しい山に入山しました。山伏とその同行者のみが歩く修験の道。あらゆる形の信仰を受け入れる空間。この経験は、日本の社会の深い文化の系譜を感じると共に、忍耐力について学ぶ機会になり、今でもその山伏に感謝の念を抱いています。
修験道とは、仏教以前の山岳崇拝、地域の民間信仰の慣習、神道、道教、密教の要素を調和的に組み合わせたシンクロティックな宗教です。山を崇拝し、修行と規律を通して精神的な知恵を達成するという信念が根底にあります。修験道や日本の様々な宗教では、特に山、洞窟、谷が、亡くなった人々の霊が宿る神聖な場所として崇められています。山は、私たちが暮らす世界と黄泉の国の間に存在するゲートウェイの形であり、宗教の源です。
平安時代(794-1185)に様々な宗教が整いました。平安時代は書物や和歌が定着した日本の歴史における文化的啓蒙の黄金時代でした。その後、宗教は広く普及しましたが、明治時代(1868年から1912年)に政府が神道と仏教を明確に分離した際に修験道は当時の法体系と合わなくなり、1872年に規制がされ、多くの重要な文化的遺物が破壊されました。そして、第二次世界大戦の終戦による宗教の自由の到来により、修験道は復活し、しっかりと現代に継承されました。
修験道の慣習はその厳格さにおいて日本の他の宗教の慣習とは異なります。山伏と呼ばれる修行者は、悟りを求めて修行と共に山から採れた恵みを食します。山伏は「山の達人」と呼ばれることもあり、3つの重要な要素を持っています。神聖な場所としての山、神聖な存在に昇る(文字通り自分の体で仏になる)可能性のある山伏、そして最後に山での神秘的な修行です。元来、山伏の修行とは秋に山に入り、洞窟に身を隠し、冬の間ずっと長期間断食をしながら、凍るような冷たい水に身を浸し続けることで構成されていました。毎日の継続的な祈りを通して、時には瞑想をしながら、僧侶たちは次の春に山から現れます。近年では、修験道の修行は四季を通じて行われ、様々な方法で行われるようになりました。山伏は全国各地で修行をしています。関西や中部日本は、活発な訓練の主要な地域のひとつとして考えられていました。
日本の本州の最大の岬である紀伊半島に沿って南に向かい、大阪と京都の真南に、熊野古道という巡礼の聖地があります。山に登る道は様々ですが、中には歩くことが規制されている道もあります。これらの巡礼の道は山伏の修行をするだけではなく、この地域の最も重要な精神的な場所として崇められています。大阪からほど近い高野山の山頂にある寺社郡、東に位置する感動的な伊勢神宮、紀伊半島の中心部にある熊野本宮大社、熊野速玉神社、熊野那智大社。これらはもし貴方が建築に少しでも関心があるならば、必ず訪れな暮れはならない場所です。5つ全てのエリアが日本を旅する際に不可欠な場所です。熊野古道は、その文化的・歴史的意義から、2004年7月に「紀伊山地の聖地と巡礼路」の一部としてユネスコ世界遺産に指定されました。この指定により、広く世界にその名が知れ渡り、またアクセスのしやすさも向上し、今では熊野古道には多くの宗教者や観光客が訪れるようになりました。南北に向かう小辺路は、息を呑むような美しさの峠を越えて高野山と熊野本宮大社を結んでいます。同様に、熊野本宮大社と東海岸線の熊野那智大社、そして熊野速玉大社を通って東に向かう中辺路も、壮大な山岳風景を楽しむことができます。最後に、巡礼の道の中でも最も古い伊勢路は、太平洋の美しい景色を望む東海岸線を通りながら、熊野那智大社と熊野速玉大社を抜けて北の伊勢神宮に繋がっています。
3つの巡礼の道は全て原生林に覆われており、見事な大自然に包まれ、神秘的なルートです。それぞれの古道が周辺に地域文化を形成しており、訪れる方々は快適な家族経営の旅館や温泉温泉を楽しむことが出来ます。その道も一日15〜20kmほど歩いた後に利用することが可能です。しかし、私にとって熊野古道の真のハイライトは、道に迷ったり水の補給が必要な巡礼者や観光客に対して常に温かく手を差し伸べてくれる優しい住民や企業の方々です。まさに人々のおもてなしの精神と心の豊かさに溢れています。
熊野古道は近年、海外でも知名度が高くなり、2015年には世界で2つしかないユネスコ巡礼路のひとつであり、西ヨーロッパのスペインとフランスのルートであるサンティアゴ・デ・サンティアゴ(セントジェームスの道)との連携巡礼認定を正式に発表しました。訪問者は、本物の日本文化を体験できるだけではなく、日本の田舎の地元の人々の親切さについても肌で感じることが出来ます。そしてこの道を歩くことによって、日本社会の基本的な精神性のあり方を洞察する機会に触れることも出来ます。修験道は、日本人の自然から学ぶ精神を象徴する文化であると共に、自ら実践することで改善をしてゆく概念、つまり忍耐力を養う場でもあります。もしかしたら、これは学校で放課後に生徒と教師が週に5〜6日行う学校の部活動にも通じる概念です。また長時間働く日本のサラリーマンにもあてはまるのかもしれません。日本では誰しもが何か一つは趣味を持っています。同じように私たちも熊野古道の巡礼の道を歩く目標を立てて、それぞれのエリアで熊野那智大社や様々な神社、そして滝や高野山の感動的な寺院の数々や石仏などのモニュメントに遭遇た時の達成感を味わい、本当にここにしか無いほど貴重な体験を得られると思います。
また、殆どの方々には不向きですが(また歴史的に女人禁制ではありますが)、おそらくこの地域で最も厳しい道は奈良の大峰山を登る修験道です。山の頂上には、修験道の創立寺院であり、根本道場でもある大峯山寺があります。大峰山寺は巡礼者にとって最重要の修行の地のひとつであり、この山脈に沿って山伏は3つの厳しい修行をします。
鐘掛岩(かなかけいわ):谷に突き出した9mの岩壁を登ります。山伏は鎖を頼りに登ります。最初に岩にぶら下がり飛び移る必要があります。
西の覗(にしののぞき):60mの崖から全身を縛り付けて突き出されます。若い山伏から邪念を取り払うために突き出されます。
平等岩(びょうどういわ):山伏たちは断崖絶壁の切り立った岩の塔を鎖なしで登ります。
これらの慣習は山伏が悟りの境地に到るためのものです。そして私はかつて山伏の知人と修験道を歩いた日の事を懐かしく思い出しました。雨が降る中、急な上り坂で息をきらしながら山を登り、修行を通じて神通力を養いました。途中、休憩をとることはありませんでしたが、時おり山伏は美しい細工が施された螺貝を吹くために立ち止まりました。彼らの気力と胆力から私も発奮し力を得ました。
近年、山伏や修験道の宿も数が減ってきていますが、熊野古道のような巡礼の聖地への修行の旅は、日本文化を深く理解する上で貴重な経験となります。そして何よりも文化継承の支えにもなります。そのためにも安全かつ自己責任の範疇で、本物の文化体験をする機会を得ることは全ての人々にとって相互に有益だと思います。
執筆者 アダム・ドーハム