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多くの旅行者は、東京・京都・大阪を巡る有名な「ゴールデンルート」に集中しがちですが、日本海側へと北上する人は多くありません。そこには、歴史と伝統が色濃く残る、あまり知られていない美しい地域が広がっています。
この3日間の「京都から永平寺」への旅程では、三重県の伊賀上野、滋賀県の長浜、そして福井県の永平寺などを通り、日本の歴史の真髄を紐解きます。城や商人文化、禅の精神が織りなす
深いつながりを発見しながら、関西の奥深さを感じられる本格的な旅となるでしょう。
旅の始まりは、日本の文化の中心地・京都。かつて天皇や武家の棟梁たちが暮らしたこの地から出発します。
京都駅の北、御所の南にある元離宮二条城は、江戸時代の建築美を今に伝える最も見事な例の一つです。1603年、江戸幕府の創始者・徳川家康の京都での宿所として建てられたこの城は、防御のためのものではありませんでした。その存在意義は「戦うため」ではなく、「権威を示すため」にありました。
その設計の隅々にまで、権威を示す意図が込められています。徳川家の家紋として知られる「三つ葉葵」は、アオイ(正確にはフタバアオイ)の葉を三枚、円形に配置したものです。この紋章は、屋根瓦や門、金具など、城内の至るところに繰り返しあしらわれています。
二の丸御殿の内部では、金箔の襖絵や漆塗りの木材が、気品と格式を漂わせています。足を踏み入れると、名高い「鶯張りの廊下」が軽やかに音を立てます。
外に出ると、庭園作庭の名手・小堀遠州らによって手掛けられた二の丸庭園が広がります。石、水、松が見事に調和したその景観は、建築と自然の美を絶妙に融合させ、徳川の時代が育んだ洗練された美意識を今に伝えています。
元離宮二条城の堀や静かな庭園を散策した後は、奈良の「ならまち」へと南下します。ここは、木造の町家や細い路地が残る、美しく保存された商人の町。江戸時代の穏やかな日常のリズムが今も感じられる場所です。
奈良といえば壮大な寺院や鹿で知られていますが、ならまちはその中でもひときわ静かな情緒を持つエリアです。江戸時代には商人の町として栄え、今も格子戸の町家や瓦屋根の家々が細い路地沿いに並び、往時の風情を色濃く残しています。
これらの町家の多くは、美しく改装されてカフェや工芸店、小さな博物館として生まれ変わっています。ゆったりと歩きながら街の情緒を味わうのに、これ以上ないほど魅力的な場所です。
町の中心には、日本最古級の仏教寺院のひとつであり、ユネスコ世界遺産「古都奈良の文化財」にも登録されている元興寺があります。木造の堂宇や日本最古とされる瓦の数々は、奈良が持つ深い仏教の歴史と建築文化の遺産を今に伝えています。
寺を抜けると、奈良の静かな通りには、丁寧に修復された古民家、色とりどりの金平糖を売る菓子店、そして一息つける穏やかな茶房が並びます。歩くたびに、ゆっくりと時が流れるような心地よさに包まれます。
山あいを東へ進むと、旅は三重県の静かな町・伊賀上野へと続きます。ここは、日本でも屈指の忍術流派「伊賀流忍術」の発祥地として知られています。
伊賀の忍者は、単なる伝説上の存在ではありません。戦国時代には実際に諜報活動に長けた精鋭として、隠密行動、観察力、そして環境に溶け込む技術を極めていました。
伊賀流忍者博物館では、巧妙な防御仕掛けが施された復元忍者屋敷の中に入ります。素早く逃げられる回転扉、武器を隠す棚に見せかけた隠し階段、侵入者を欺いたトラップパネルなど、さまざまな工夫が施されています。これらの小さく実用的な発明品は、どんな伝説よりも忍者たちの思考や生活様式を物語っています。
博物館の隣では、伊賀上野城が町を静かに見下ろしています。私たちが訪れたときには、近くの学校から笛の練習のかすかな音色が漂い、街全体がまるで夢のような静けさに包まれているかのようでした。
城の周りには、昔の瓦屋根に忍者の絵柄が残っていたり、伝統的な木造建築が並んでいたりと、かつての城下町の雰囲気を今に伝えています。
細い通り沿いには、小さな工芸店や家族経営の食堂が並び、それぞれが伊賀ならではの穏やかで時を超えた魅力を守り続けています。
伊賀上野のNIPPONIA HOTEL 伊賀上野 城下町に宿泊すれば、旅の体験がより深まります。このホテルは、かつて城下町の経済を支えた商人の町家を改修しており、梁や土壁、中庭など、当時の特徴をそのまま残しています。
ここでの夕食も醍醐味のひとつです。地元で採れた食材を使った多彩なコース料理が振る舞われ、中でもこの地域でしか味わえない希少な伊賀牛は絶品です。
ここに一泊することで、ただ休むだけでなく、町の歴史や職人技、風景が静かで奥深い形で調和している様子を肌で感じることができます。
朝は、琵琶湖の東岸に位置する滋賀県の風光明媚な町・近江八幡へ向けて北東に車を走らせます。
かつて近江商人で栄えたこの町は、戦略的な立地と京都や主要な交易路とつながる運河網によって繁栄しました。現在も運河は町の景観を形作り、柳の木々や、カフェや小さな博物館に生まれ変わった白壁の土蔵が水面に映えています。
運河を巡る船に乗れば、柳並木や古い蔵のそばを静かに進みながら、町のゆったりとしたリズムを体感できます。
舟が狭い水路を進む中、琵琶湖の土で作られた瓦屋根を眺めることができます。柔らかく風化した色合いの瓦は、水路や石畳と調和し、滋賀の商人文化が育んだ優雅さを映し出しています。
近江八幡の運河を楽しんだ後は、琵琶湖沿いに北へ進み、長浜へ向かいます。ここは、16世紀後半に貧しい出自から天下を統一した豊臣秀吉のもとで繁栄した城下町です。
かつて戦略的な港町であり商業の中心地だった長浜は、秀吉が築いた城を中心に発展し、侍や職人、商人たちの影響が融合した町となりました。
今もなお当時の趣が残るこの町では、修復された町屋が並ぶ静かな路地や、ふとした瞬間に視界に入る琵琶湖の景色を楽しむことができます。
旧市街の中心にある老舗・せんなり亭 橙は、近江牛で知られる名店です。近江牛は、神戸牛や松阪牛と並ぶ日本三大和牛のひとつとして名高いです。
ここでは、霜降りの薄切り牛肉を、季節の野菜や地元の米とともに甘辛い醤油だしで煮るすき焼きを楽しみます。その味わいは深く、絶妙なバランスで、柔らかく温かみに満ちています。
昼食の後は、長浜城へ向かいます。長浜城は1570年代に豊臣秀吉が最初に築いた城で、ここで彼は後に日本各地に広まる城下町のモデルを形作りました。
現在の建物は復元されたものですが、琵琶湖を見下ろす同じ場所に立ち、水面や周囲の町を一望できます。春になると城の公園には数百本の桜が咲き誇り、滋賀県でも屈指の美しい景観のひとつとなります。
午後遅くには、旅は山間を抜けて福井県へと続き、より精神的な色合いを帯びてきます。
滋賀の城下町を後にして、北へ進むと福井県に入り、日本でも有数の禅寺・永平寺を取り囲む静かな寺町に到着します。
1244年、僧・道元によって開かれた永平寺は、現在も禅修行の中心として機能しており、100名ほどの僧侶が何世紀もの間、座禅や学問、作務の修行を日々実践しています。
宿泊先は、参拝者のために設計された静謐な宿・柏樹関です。
ここでは、夕方の勤行や早朝の座禅に参加することができます。鐘の響きや杉林を吹き抜ける風の音に耳を澄ませながら、心静かなひとときを過ごせます。
夕食もまた、静かに心に残る特別な体験です。季節の野菜や豆腐を使った精進料理 (菜食料理)が振る舞われます。
一品一品が丁寧に盛り付けられ、シンプルさの中に美を見出す禅の精神が表れています。
永平寺で迎える夜明けは、忘れがたい体験です。
早起きをすれば、僧侶とともに朝の勤行に参加できます。リズミカルな読経や礼拝、座禅のひとときが、杉の堂宇に静かな力強さを満たします。
参拝者向けに英語の冊子が用意されており、法要の前には簡単な英語での説明もあるため、初めての方でも流れや意味を理解しやすくなっています。
私たちが秋に訪れたとき、寺の周囲の空気はひんやりと澄んでいました。
地元の人々によると、冬になるとその景色は一変するそうです。古い杉の枝に重い雪が積もり、寺の屋根は白銀の静寂に覆われて見えなくなるのです。それでも僧侶たちは何世紀も続けてきた日課を守り、冷たい山の空気の中で道を掃き、座禅を続けます。
精進朝食の後、私たちは東へ向かい、越前大野の城下町へと進みます。
福井県の山々に囲まれた亀山の上に建つ越前大野城は、町全体を見渡せる絶好の位置にあります。1580年に築かれたこの城は、条件がそろった朝には雲海の上に浮かんでいるように見えることから「天空の城」と呼ばれ、幻想的な光景を見ることができます。
城内には、歴代城主の遺品が展示されており、当時の生活の様子を垣間見ることができます。城下町はその麓に広がり、碁盤の目状の路地や木造の町家、酒や醤油を売る店などが並び、趣ある風情が漂っています
昼食は越前の老舗・うるしやでいただきます。地元の伝統を深く尊重することで知られるお店です。
こちらの名物は「名代おろし蕎麦」です。「名代おろし蕎麦」のつゆは、大根のしぼり汁と
生醤油を合わせたつゆで、つけながら食べるおろし蕎麦となります。
また昭和天皇が、召し上がられてあまりのおいしさに感動され、戻られた後も、あの越前の蕎麦がまた食べたいなと恋しがられたことから、おろし蕎麦が越前蕎麦といわれるようになりました。
最後の訪問地は彦根です。琵琶湖のほとりにある静かな城下町で、江戸時代の風情を今に残しています。(有名な温泉地・箱根と名前が似ていますが、この彦根は滋賀県にあり、火山の峰ではなく、歴史と水に彩られた穏やかな町です。)
低い丘の上にそびえる彦根城は、日本に現存する数少ない天守のひとつで、国宝にも指定されています。木造の階段や白壁は400年以上の時を刻み、かつてこの地域を京都と結んでいた琵琶湖を見下ろしています。
城の麓には玄宮園が広がっています。17世紀に、茶会や月見のために造られた庭園です。
庭園は、いくつもの小島が橋でつながれており、かつて大名たちは船を浮かべて遊覧を楽しんだり、池のほとりの客殿で茶会を催したりしました。多くの城郭庭園と同様に、この庭は自然を切り離された存在としてではなく、共に暮らし、そこから心の安らぎを得るものとして捉える日本の美意識を映しています。
玄宮園を散策すると、まるで絵画の中を歩いているかのような気持ちになります。松の木々が水面に柔らかく映り込み、城は静かに時を見守る守護者のようにそびえています。日が暮れ、私たちのバスが、南へ進むころ、旅が一巡したかのような感覚に包まれます。
二条城の整然とした佇まいから、ならまちの懐かしい街並みまで、伊賀の忍者の伝説から彦根の湖畔の静けさまで、それぞれの訪問地は日本の精神の異なる側面—規律正しく、思慮深く、そして人間味あふれる面—を映し出しています。
ここでは、過去が博物館に閉じ込められているわけではありません。寺の鐘の音や空気の匂い、古い町に今も息づく日常の穏やかなリズムの中に、直接感じることができます。
もしさらに旅を続けたい場合は、他の旅程もご覧いただけます。ひとつは大阪から始まり、職人の物語や海沿いの町を巡るルート。もうひとつは京都で終わり、寺院や庭園の穏やかな道筋をたどるルートです。これらを合わせると、日本の中央をゆっくりと巡り、日本の変わらぬ心に触れる、大きな輪を描く旅となります。