播磨の港

播磨の港

2021年02月09日

The KANSAI Guide

大仏を造るための銅を運んだ航路

行基菩薩が整備した泊を偲ぶ

 古来、地中海が東方とヨーロッパをつないでモノや文化が行き来する航路であったように、本州、四国、九州に挟まれた瀬戸内海も中国大陸や朝鮮半島と、当時日本の中心だった奈良京都とをつなぐ重要な航路であった。播磨灘は、その瀬戸内海の最も東の海域をさす。瀬戸内海から明石海峡を通って都に近づく重要な航路に港を整備したのが、民衆の圧倒的な人気を誇り、東大寺の「四聖」の一人に数えられる僧侶であった。

 その名は、行基菩薩。8世紀の初め、行基は近畿地方を中心に布教活動と貧民救済、治水工事などの慈善事業を進んで行い、多くの溜池や橋、堀など、人々が安寧な生活を送るための基盤を次々に整備し民衆の圧倒的な支持を集めた。彼を慕って工事に集まる者は、時に千人を超えたという。彼の人望を見込んで聖武天皇は、東大寺の大仏造立の責任者に行基を任命する。あの有名な奈良の大仏を作ったのが行基なのだ。時に行基、76歳。渾身の知恵を絞ってこの世紀の大事業に臨んだ。

 大仏を造るためには、大量の銅が必要だ。当時、長門国(現在の山口県)に国が直轄する長登銅山があり、そこから東大寺に大量の銅を送ることになった。そのためには瀬戸内海航路の播磨から摂津(現在の大阪府、兵庫県東部)に至るまでに風待ちや潮待ちをするための港を整備する必要があった。

 行基は1日の航行距離に合わせて5カ所の港を整備する。『室津伯』『韓泊』『魚住伯』『大輪田泊』『河尻泊』。これが旧摂津から旧播磨(現在の兵庫県西部)にまたがる摂播五泊である。それでは中世から近世にかけて繁栄した摂播五泊のうちの一つ『室津』の港、赤穂藩の塩の積出港であった『坂越(さごし)』の港、播磨灘に浮かぶ『家島諸島』を訪れてみよう。

 龍野市にある室津は揖保川の下流に位置する天然の良港で、1300年の歴史を誇る。行基が整備した摂播五泊の中でで、今もなお往時を偲ぶことができる唯一の港である。中世になると、瀬戸内海東部の海上交通の要地として商品輸送が盛んになった。さらに江戸時代には物だけでなく、地方の大名が領地と江戸を往復する参勤交代制により、サムライたちの移動が増え、港の役割も単なる寄港から上陸、宿泊地へと転換していくことになる。

 忘れてならないのは、室津の国際性である。古代から中国と日本を結ぶ中継地として、重要な港であり、鎖国下の江戸時代でも、朝鮮やオランダなど、多くの外国人が行き来する一大港湾都市となった。現在、豪商の家屋2戸が室津海駅館室津民俗館として整備され、様々な資料を閲覧すると、小さな港ながらとても発展していた様子がわかる。

 坂越(さこし)は、室津と並んで江戸時代に繁栄した兵庫県赤穂市東部の港町だ。古来より、瀬戸内の寄港地として発達したが、特に18世紀以降になると、大阪と北海道を結ぶ当時の基幹海運であった北前船の寄港地となり、赤穂で産出された塩を運び出す塩回船の基地としてにぎわった。千種川の船着き場と坂越の港を結ぶ坂越大道は、今も江戸時代の町並みが保存され、往時を偲ぶことができる。また、奥藤酒造郷土館は、かつて廻船業で栄え、現在は酒造業を営む奥藤家に残る昔の酒造道具、廻船業関係の資料、生活用具などを見学できる。周囲を森に囲まれた坂越湾一帯は海に豊かな養分を蓄えており豊かな漁場で瀬戸内有数の清浄海域で牡蠣がおいしいことで知られる。

 家島諸島は大小40余りの島々からなる。古くから、天然の良港として瀬戸内海航路の要地、避難港であった。近世には漁業の基地として栄えた。本島の家島に、家島諸島の総鎮守府である家島神社がある。家島の地名は、神武天皇が大和へ向かう途中に立ち寄り、港内が穏やかで、あたかも家の中にいるようだと言ったからだとか。

 かつて行基が大仏造立のために長門国から銅を運ばせたように、家島諸島は16世紀末の大坂城築城でも石垣を築くための採石場となり、家島の運搬船が活躍をした。付近の島々は流紋岩、花崗岩などからなり、海岸線に岩が露出しているため、船で運びやすかったことから採石業が発展したと言われている。近年では関西国際空港の建設時にも石がここから運ばれた。西島、男鹿島、坊勢島からは島の形が年々変わるほど採掘されており、今も続けられている。

 日本列島の交通体系は陸路よりも速く大量に運搬できる航路が中心だった。そして、古来よりモノや人を運搬する交通の大動脈となっていたのが、この瀬戸内海の播磨エリアだ。地中海交易で沿岸の各都市が隆盛を極めたように、行基が整備した港もまた、物流拠点として繁栄し、今もその名残をとどめている。行基は最後の大仕事である大仏の完成を見る事なく、病に倒れる。しかし、行基がかかわった事業の痕跡は、後世の人々に物心両面の豊かさをもたらし続けている。

 大仏がある東大寺へのゲートである近鉄奈良駅前の広場には、行基像が立ち、東京・渋谷のハチ公像のように人々の待ち合わせポイントとして知られているが、彼の偉業を知る日本人は意外に少ない。

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