日本人の義理人情を演じる人形浄瑠璃

日本人の義理人情を演じる人形浄瑠璃

2021年02月23日

The KANSAI Guide

~西宮から徳島への変遷をたどる~

三味線と語りに合わせて、人形を操る日本の伝統的な芸能「浄瑠璃」。演目は義理人情を語るものが多い。三味線は語りの表現に合わせ間の取り方にも心を配る。人形遣いも語りに合わせ、目線やしぐさに気をやりながら演じる。まさに日本人の感性が凝縮された芸能だ。  伝統芸能である文楽や歌舞伎も、人形浄瑠璃から進化したものだ。
そもそも人形浄瑠璃は、兵庫県西宮市にある西宮神社の「えびすかき」をルーツに持つ。これは室町時代以降、西宮神社の近くに住んでいた傀儡師(くぐつし)と呼ばれる人形遣いが、人形を操りながら諸国をめぐり、福の神であるえびす様のめぐみを広めた。日本全国にえびす信仰が広まっているのは、この傀儡子の功績が大きい。江戸時代になるとこの人形遣いが淡路島や四国にわたり、人形浄瑠璃として広まっていく。

神事を大衆芸能に広げた淡路人形浄瑠璃

室町時代後期、人形浄瑠璃の元祖、百太夫が淡路島に移り住んだことで淡路人形浄瑠璃が定着した。元々は、神にささげる神事だったが、淡路島では次第に大衆芸能として花開いていくことになる。
派手で大胆な演出、驚きの早変わり、大道具返しなどは、他にはない淡路人形浄瑠璃ならではの独自の特徴だ。また、人形遣い、大夫や三味線弾きに、女性が多く活躍するのも見どころの一つ。淡路島にできた多くの一座が全国巡業をしたことで、浄瑠璃は全国に広まっていく。各地の藩主や地域の有力者からも保護されるなどもてはやされたが、その後数多くあった人形座は次第に減り、現在はわずか1座を残すのみ。その公演が見られるのが、鳴門の渦潮で有名な鳴門海峡に面する南あわじ市にある淡路人形座だ。

衰退の一途にあった淡路人形浄瑠璃の伝統を守ろうとする人々たちによって1964年、かつてあった人形座の中でも大座の一つであった吉田傳次郎座の道具類を継承し公演を続けている。福を授ける「戎舞(えびすまい)」など人形浄瑠璃のルーツを感じさせる演目を始め17の演目を上演。公演の前には、人形遣いの技の基本や、舞台裏を見せるバックステージツアーなどもあり見る人を楽しませる。現在は28カ国から招待され、世界的にも評価を高めている。

藍作とともに広がった阿波人形浄瑠璃

淡路島の人形座が巡業した先の一つが徳島だ。徳島藩主は淡路島から芝居公演を頻繁に呼んで開催した。また、藍を栽培し、衣を染める藍の商売で成功した豪商による支援で、さらに盛んになっていく。藍作の盛んな吉野川流域などでは、数日間連続で公演が行われていた。この藍色は「JAPAN BLUE」として世界に知られるほど深く鮮やかな日本を代表する色でもある。
吉野川は暴れ川と呼ばれるほど、何度も氾濫を繰り返した。氾濫によって、藍の耕作に適した肥沃な土が藍の畑に流れる。その一方で氾濫は藍づくりに携わる農民を苦しめた。豪商たちはその罪滅ぼしも兼ねた娯楽として淡路の人形浄瑠璃を農民にプレゼントしていたのだ。
藍作のない徳島県の南の地方、那賀川・勝浦川流域や、海岸エリアでは、こうしたプロの人形芝居を見る機会がなかったため、村人が自ら演じて生まれたのが阿波人形浄瑠璃の起源だ。明治初期の全盛期には徳島県(http://kansaiguide.jp/rt/destinations/tokushima/)内に70を超える人形座が活躍した。地方の隅々まで公演に回り、野外で演じることの多かった阿波の人形浄瑠璃は、遠くからでも映えるように、人形の頭、体が大きく、光沢のある塗りの人形が使われていることが特長だ。
現在は、阿波十郎兵衛屋敷で10以上の演目が日替わりで上演されている。館内には、かつて神社の境内によく見られた野外劇場「農村舞台」がしつらえられている。阿波人形浄瑠璃の代表作は、阿波徳島藩のお家騒動を基軸に母と娘の情愛を描いた「傾城阿波の鳴門」でとくに当地の人に愛された演目だ。操り人形に触れたりできるほか、舞台道具の展示もある。伝統的な演目のほかにその時々の流行や風俗を巧みに取り入れており、2020年は、「衛生阿波の鳴門 コロナ対策の段」という演目も上演されている。

西宮から淡路島、そして徳島へと広がっていった人形浄瑠璃は、その時々の世相を反映させながら親子の情愛、男女の悲恋とともにそこにうごめく人々の感情を織り交ぜ、大衆の心をつかんでいった。多くの人々を楽しませる娯楽としての普遍性はその後文楽や歌舞伎だけでなく、演劇やミュージカルといった現在のショーにまで連綿と受け継がれている。

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